
サックス:鷲尾明子
このコーナーはメンバーの自由なコラム欄として新設しました、
今回は主に私とジャズとの出会い、楽器との出会いです。







学 生 時 代 の 思 い 出
2000年 ビッグバンドで マンドリンを弾いていた時、隣のおじさんが気持ち様さそうに サックスを吹いているのを ”いいなー”と思って眺めていました。
そのころ、山野楽器店で大人のためのレッスンで 管楽器(サックス)のお試し をやっていたので、音がでるようだったら、習い始めよう思ったところ、音が出ました。 そこから、グループレッスン、個人レッスン、などに参加し、同時にビッグバンドもサックスに変更しました。
4,5年前に アルトサックスからテナーサックスに変更し、頑張っていましたが、高齢と体力に勝てず、再度 アルトサックスに変更し、現在頑張っています。
小さいころから、ピアノ、バイオリン、ギター、マンドリンなど挑戦してきましたが、どれも ものにならず、 サックスには はまりました。 これからも、できるだけ長く継続したいと思っています。サ
ピアノ・編曲・バンドリーダー:春原 靖秀
ピアノとの出逢い)
中学に入って春の学芸会、同級生の一人が、ピアノソナタを弾いて大感激!! 帰り道、家の近くのカトリック修道院に飛び込んで、ピアノを触らせてもらったのが、 運のツキ、、、、、
(ジャズとの出逢い)
高校に入ったある日曜日、会ったこともない二人の先輩が、突然、訪ねて来て 「おまえ、ピアノ弾けるんだろう?」「ハア」 「バンドやっているんだが、ピアノがいないので一緒にやろうぜ」「ハア」 訳も分からず、練習会場の、晴山ホテル、(現)軽井沢プリンスホテルに、直行、、、 「それだけ弾ければ十分だ」、、、、喜び勇んで帰宅すると、母親がいきなり、 「あんな、肉屋の息子と、旅館の息子と付き合うんじゃない、ジャズなんかやると不良になる!」 と、言われて、「友達と勉強してくる」 と、言って始めたのか、運の尽き、、、
(つづく)- - - - お楽しみに
ギター:福嶋雄二
ジャズとの出会いは高校3年ころでしょうか、ラムゼイ・ルイストリオの「The Incrowd」を聴いてからでした。それまでは、プレスリーやR&Bなどのポップスをよく聴いていました。
The Incrowdを聴いたとき、ノリノリで演奏時間が長くヘェー、いいじゃんとこれまで聴いてきた音楽との違いに目覚めました。
その後は、ジャズ喫茶に入りびたりました。ギターはそのころから弾きたかったのですが、学生時代はお金もなく手にすることはできず、子育てが終わった50代で念願のギターを買って、ギター教室に通い始めました。
ギターという楽器が理解できてなんとか弾けるようになったのはSwing Awayに入ってからです。感謝しています。
サックス:吉信昭生
中学の時に鹿児島に下宿してましたが、そこに洋画好きのお兄さんが同じく下宿してて毎晩、外国の話をしてくれ、そこでサントラ盤のニニロッソだとかベルトケンフェルトのトランペットを聞かしてくれ、自分でも吹いてみたくて、トランペットを無理言って買ってもらい、音階の説明書だけをたよりに<ジェルソミナ>にたどり着いたのが楽器との始まりでした。
東京へ来たのが高校へ入るときで、姉に無理やり労音のコンサートへ連れて行かれ、産経ホールでしたね、聞いたのが何とアートブレイキーとジャズメッセンジャーズだったんです。強烈な衝撃でした。何だこりゃと。こんな世界があるのかと。これが初めてのジャズとの出会いでした。
高1で今でも私の一押しの<危険な関係のブルース>に出会った次第。
それから高校の吹奏楽部でトロンボーン、大学でジャズ研に入ったビッグバンドでも Trb.、当時流行のダンスパーテイーでの演奏、たいして吹けもしないのに、夜には新橋界隈のキャバレーに(ここだけ音出していいよ、と言われながら)時には米軍キャンプのダンスパーテイに出演という乱れた学生生活をやるハメに - - - - -
でも楽しかった学生生活。
しかしサックスへの憧れは常にあり、仕事引退したらやってやろうと引退1年前からヤマハに通い、アルトサックスを習い始めました。そして有る日公園で練習をしてたら、一緒にバンドをやらないかと誘われ、そこのバンドにピアノの春原さん、テナーの鷲尾さんがおられ、今のSwing Away へ繋がるわけです。
本当に偶然の人との出会いで今のメンバーに入れてもらえており皆さんに感謝してます。こんなラッキーでこの年でバンドがやれてるなんて奇跡的な幸運です。
ドラム:福島 進
<ドラムとの出会い>
母親と姉の影響で、子供の頃シロホンとピアノを習い始めましたが途中で挫折。その後、’60年代のエレキブームに触発されてロック音楽に傾倒しました。
当時はロックの楽譜が殆んど無かったため、レコードから聴音してバンド用の楽譜を作って いましたが、高校の学園祭に出演予定のドラム担当が抜けたため、急きょドラムを引き受けたのが始まりで す。
それからはロック一筋の頑固者でしたが、Swing Awayがドラマー(ドラ息子?)を募集していることを知り、
新しいジャンルに挑戦することにしました。
素晴らしい仲間と、幅広い音楽を楽しんでいきたいと思っています。
ベース:石田 清和
若いころからお音楽を聴くのは好きでしたが、皆さんと違って歌謡曲が中心でした。
高校生の頃、和田弘のスチールギターの音に痺れていました。上京して初めて行ったのが・・ビクターなんとか、勿論、和田弘のスチールを聞くためでした。
入った会社で、何処かからスチールギターの音が聞こえます。ハワイアン好きな人がいて、ギター、ウクレレ教室のようなものが、お昼休に毎日に開かれていました。そこで、ウクレレ、ギターに初めてさわりました。でも、長く続かず、ハワイアン好きな人は転勤、解散してしまいました。
それから40年、当時一緒にやっていた先輩がスチールギターを習いにいっていると聞きました。
刺激を受けて、私も何かやりたいなあと思っていたころ公園でギターの弾き語りしている人と知り合いになり、クラシックギターを買う事になりました。
ギターの弾き語りをしていた人は、バンド活動もしている事を知り、近くだったのでその練習の見学に通いました。そんなに音楽が好きならベースをやって見ないか・・と其処で声を掛けられ、触ったこともなかったベースをやる事になりました。
春原さんはじめ、その他皆さんのご指導のおかげで何とか続けられております。
皆さんに感謝しております。これからも頑張っていきたいと思っています。




VOICE



初めてジャズに触れたのは、Birdそうチャーリーパーカーだった。
高校に入学して友達になったYの2畳あるかといった小部屋だった。
Yの兄さんが大事にしてたオープンリールで聴いた。確かジャイアントステップというアルバムということで、何が何だか分からなかったが、日本の流行歌とは、
別世界にワープしたみたいだった。
ここで、スイングアウェイのメンバーの脳を持っていれば、サックスやペットや
ピアノなんかの楽器を手にしたのだろうけど、もっといい音で聴きたいと
ジャズ喫茶に通った。渋谷、新宿のジャズ喫茶は、高校生には手強かった。
薬のせいで目のすわった人がいたりリトルスージーを何回もリクエストするマニアがいたり。
JBL、BOSE、TANNOY…、背伸びして入ったクラシック喫茶…。
店のスペースにデンと据えられた凄いスピーカーに恋してしまった。
いい音はでっかいスピーカーということで、意外と手軽に手に入ったパイオニアのウーファー、ツィーターを10mm厚のコンパネで覆ったフロアスピーカーを自作。
それに合う真空管アンプも組んだ。
昔話は、これくらいにして、居心地のいいスイングアウェイには、まだまだお世話になると思う。もっともっといい音でオーディエンスにスイングアウェイのプレイを聴いてもらいたくて。
ベース:石田 清和
PA & Photo & Recording:小林 盛男



イメージです
製作品の一つ

ボーカル・パーカッション:樋口 由紀子
小さい時から母が、ジャズや、ラテン等を良く聴いてレコードをかけていたので、自然と音楽を耳にするようになりました。
中学生の頃から米軍の住宅に出入りするようになり、よけい好きになり、子供が生まれてからは、子守唄を英語で、歌っていましたが、まさか人前で歌うとは思っていませんでした。
今は、こんな私の歌で楽しんでくださる方がいることが、生き甲斐になってます、楽譜も全く忘れてしまっていて、メンバーの足を引っ張っていますが、メンバーに助けてもらいながら、パーカッションとボーカルを担当させていただいてます!
音痴ですが、音楽が大好きな私、宜しくお願い致します。


パーカッション・ウクレレ・ボーカル:風見 宏昭



JAZZとの出会い......
ロカビリーに夢中だった頃、私はウクレレ、ギター片手にポール・アンカやプレスリーの曲を歌っていた。高校の文化祭に誰がよんだか東京6大学のW大のジャズ研(3菅編成のセクステット)が出演した。カルチャーショックを初めて経験することとなった。大学に行けばあんな凄い、格好良い音楽が出来るんだ!と
実は工業高校生だったので高卒就職予定だった。高3になった頃親に大学へ行かせたる!と言われてしめた(^@^)と思ったのは言うまでもない。しかし1浪は余儀なくされた。ところがこれが功を奏することになった....
都内でも屈指の繁華街である池袋、新宿を経由して予備校に通うこととなる。
結構授業によっては休講となることがあり、チョットした暇(予備校生にそんなものあるわけないが)が出来たりして時間つぶしに、ジャズ喫茶(レコードでモダンジャズを流す!聞かせる!)に出入りする様になった。
あのカルチャーショックを受けた本物、本場の音楽が、正にパンドラボックスを開けたが如くに私に降り注いだ。益々ジャズへの愛情が膨らんだ。
1年後無事にM大へ入学、直ぐにジャズ研のある軽音楽倶楽部に入部した。希望はドラムであった。- - - -
(大学4年間の事は非常に長くなるので割愛致しますMmmmm)
さてこの度、新規参入させて頂いたSwing away bandでは、経験してまいりました音楽の一つ一つを出しながら楽しくやっていければさぞかし幸せだろうなあ~~~と思う次第です。皆様どうぞ宜しくお願い致します。